慶應看護100年!日本、世界で活躍する方々が無報酬でも貢献したい理由⑦

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慶應看護100年!日本、世界で活躍する方々が無報酬でも貢献した理由⑦】


こんにちは


日本の外に出る事で、日本の危機を肌で感じた北里柴三郎は、最先端の智慧と技術を獲得し、帰国しました。

しかし、日本の学問の最高峰である大学の論文を否定し、大学と繋がっている政府まで敵に回し、正しい見解を述べているにも関わらず、聞いてもらえない絶望を感じる毎日を送っていました。


泣く泣く、復帰とは名ばかりの内務省衛星局に戻りました。

そんな時、上司が、福沢諭吉に会ってみては?と声をかけました。


北里柴三郎は、福沢諭吉と出会います。


武士の刀をおろし、企業家として、教育者として、日本の未来を考え、道を創ったパイオニア福沢諭吉は、学問が人を、日本を創るという意志のもと、慶應義塾大学を設立しました。

しかし、会社の設立と同じで、箱を作っても、血液を通して、命を巡らし続ける事は難しく、お金という血液が途絶えると倒産します。

当時、福沢諭吉も、成功だけでなく、実は、医学所を設立していましたが、経営難で、閉鎖を余儀なくされていました。


北里柴三郎の熱意に、感動した福沢諭吉は、決断します。

北里柴三郎に、活躍の場を与えないのは、国家の損失である」と、私財で、研究所を設立します。その私財は、福沢諭吉の子女のために蓄積したものでした。

北里柴三郎を支援するという事は、政府を敵にするかもしれない覚悟であり、

新しい日本国の繁栄に全力を尽くしてきた福沢諭吉は、北里柴三郎に望みを託します。


それから、活躍のチャンス、場を与えられた北里柴三郎は、研究に励み、伝染病研究の地位を確立していきます。


福沢諭吉が他界してから、北里柴三郎は、慶應の学長から、医学科の新設オファーを受けます。

医学科設立は、福沢諭吉の夢であり、福沢先生から受けた恩顧に報いるのは、今と北里柴三郎は、快諾します。


江戸時代までは、ほぼ東洋哲学のもと医療が施されていて、西洋医療は、まだまだ、受け入れられる素地のなかった無法地帯の日本。いくら、法が整備されたとは言え、人の認識が変わらないと、進んで行きません。


だから、これだけが理由ではありませんが、いくら医学所を設立したとしても、また、いつ経営不振に陥るかも分からない状況でした。


皆さんであれば、このオファー受けますか?


時代の流れは、間違いなく来ているのだけれど、人の認識がついていかず、ニーズも生まれていない状況。

ニーズがなければ、人は、欲しい、得たいとは思わず、商品を購入する人はいません。


その時、北里柴三郎は、どう決断したのでしょうか?


覚悟のレベル、深さが違いました。


経営不振に陥る事があれば、北里一門を挙げて支えると表明したのです。


更に、驚いた事に、北里柴三郎は、初代歯科学長に就任しますが、在職中、給料や報酬を受け取らず、無報酬で、医学科の確立に貢献しましまた。


北里柴三郎は、医療には、医師だけでなく、看護婦の力が大きいと、医学科設立の翌年、看護婦養成所を設立し、教育をスタートしました。


これが、慶應看護を卒業した活躍する方々が、無報酬でも貢献する理由です。

ナイチンゲール福沢諭吉北里柴三郎の意志、精神が、今も受け継がれています。


この3人の偉人の共通点は、常識を破り、権力に屈せず、新たな道を切り開いていった事です。

その強い意志で、立ち上がることが、まず、重要ですね。

応援されなくて、邪魔をされても、貫き通す意志。


でも、何かを大きく成すためには、誰でも、一人では限界があります。

だから、人と人の協力、チーム、組織作りが必要であり、目標実現のため、力を合わせる事で、大きく時代が動いていきます。


でも、その力を合わせていく覚悟のレベルで、差が生じます。


今の現代の組織考えると、私たちの近い所では、会社があります。


仕事とは、何か?と大人に質問すると、何時から何時までと就労時間が決められ、与えられた役割をこなす事と答えます。言葉は違えど、そのようなイメージを持つ人が多いですね。そして、それに見合う対価として、給料が支払われます。


このシステムが、今の会社の現在地。


だから、仕事の内容に不満が生じたり、給料が支払われなかったり、減額されたりすると、すぐに、組織は、崩壊します。


この場合、働くモチベーションが、お金だからです。

このような状態で、人との協力関係が築けるでしょうか?


生きる原動力のリセットなしに、大きな偉業を成す事も、各々の夢の実現も出来ません。

職場選択なども、人は、何をするのかで、迷いますが、行動の前に、自分の生きるエンジンを悟り知る事が大事です。


福沢諭吉も、北里柴三郎も、私財を投げ出しても、日本のために、邁進していきました。


会社から、給料が支払われなくなると、経営者に、訴訟を起こす今ですが、自分の身を削っても、会社を継続、繁栄させていこう、世の中に、貢献していこうと思える人は、今、どれくらいいるでしょうね?


それだけ、本当の夢や目標も持てず、生き甲斐もなく、ただただ、税金を払い、体を維持するだけのライスワークとなっている現状と思います。


それは、一人一人の問題ではなく、人の機能を悟り知れなかった事が原因でした。



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