慶應看護100年!日本、世界で活躍する方々が、無報酬でも貢献したい理由④
【慶應看護100年!日本、世界で活躍する方々が無報酬でも貢献したい理由④】
こんにちは
急激な気温上昇と湿度の高さで、GWくらいから蚊が発生しているようですね。
私も、先週、久々に出会いましたよ、蚊。
刺されませんでしたが、1年ぶりに、こんにちは。
蚊に限りませんが、伝染病は、人の命を奪うくらい強力なパワーを持ちます。
今は、研究が進み、原因が判明した事で、対策も治療も可能になりましたが、昔は、死の病であり、今以上に恐れられていました。
今日は、伝染病に大きく貢献した北里柴三郎のお話です。
慶應看護100年を迎え、ナイチンゲールの意志を受け継いできた看護の世界。
医学部設立の一年後に、看護婦養成所も設立されます。
医学部設立にも、ドラマがありました。
慶應義塾大学は、福沢諭吉が設立しましたが、医学部を真の意味で立ち上げたのは、福沢諭吉の意志を継いだ、北里柴三郎です。
気学と観術を絡めてみていきます。
北里柴三郎は、1853年1月19日生まれ。
「日本細菌学の父」と言われる北里柴三郎の本命は、四緑木星です。
儒学や歴史を学び、幼い頃は、軍人か、政治家を目指していましたが、藩校の廃止により、親に、医者を勧められ、医学の道へ。
江戸時代に生まれた北里柴三郎ですが、明治維新を機に、時代のプレートが開国へと大きく変わり、運命も大きく変わっていきます。
時代のプレートの影響、大きいですよね。
歴史を通し、過去を振り返るだけではなく、叡智は、今の私たちの生き方に、活かすもの。
それでは、今の時代のプレートは?
今は、実は、明治維新より、更に、大きく大転換を遂げようとしている過渡期。
人類の生き方が問われますし、そもそもの在り方の大転換の時代なんです。
気づいている人は、見えないけれど重要な根を張り、生きる地盤を固め始めています。
それが、2018年の天と地のエネルギーの教えでもありますが、時流に乗るためには、歴史文明を悟り知る叡智も重要です。
北里柴三郎は、熊本の医学校で、オランダ人医師より、医学を学びます。
さすが、四緑木星!江戸プレートの鎖国の時代では、到底、出会えなかった運勢を広げる異国の世界と出会いますね。
そして、更に学びを深めるために、今の東大へ。
ただ、東大の先生とオランダ人医師の教えは違いが多く、度々、北里柴三郎は、東大の先生と衝突したそうです。
日本とオランダが歩んできた医学の歴史も違い、もともと、日本は、仏教・儒教が根本であったのに対し、異国は、キリスト教とベースも全く違いました。
東大の先生も、東大で教鞭をふるうくらいですから、相当の勉学は積んできたはず。
東洋ベースの学問から西洋ベースの学問へと移行する中で、今まで治療をして、治したという成功体験を積んできた人ほど、新しい考えを受け入れ難かったのかもしれません。
脳科学の見地からも、人は、無意識に、自分の考えは絶対だと思い、未来に向かい進んでいるようで、実は、過去の記憶を生きている。
その典型的な衝突が起きていました。
本命は、四緑木星の柔らかさを持ちますが、まだ若かった北里柴三郎は、その良さは出ず、月命は、六白であり、潜在能力の三碧木星の性質もあり、言葉もオブラートに包まず、突き進んだのでしょう。
北里柴三郎は、理に合わない事に対して、おかしい!と妥協しない観点の持ち主であり、その信条があったからこそ、摩擦衝突も起きましたが、偉大な発見もし、その性格のおかけで、今の慶應医学部があるのです。それは、もう少し先のお話です。
卒業後、北里柴三郎は、内務省衛生局で、細菌研究をテーマに働きます。
そこで出会った留学経験を持つ先輩の支援もあり、ドイツ留学へとつながります。
そして、この偉人!
ロベルト・コッホに出会うのです!
今の私たちの生活では考えられませんが、コッホの発見がされるまで、死の病でした。
当時、結核は、伝染病であることは分かっていましたが、菌の特定に至らず、世界中で研究されていました。
そして、コッホが、とうとう、結核菌を発見したのです。
コッホは、1843年生まれの四緑木星。
北里柴三郎と同じ性質をもち、国を越えて、人々を救いたい意志のもと、師弟関係をこえて、道を切り開いていった事でしょう。
ちなみに、コッホの青年期の夢は、冒険家。
さすが、四緑木星の性質であり、運を開く生き方を選びますね。
実際、コッホは、エジプト、インド、ニューギニアなど研究で世界を飛び回りました。北里柴三郎の縁で、日本も訪れたようです。
そして、コッホのもとで、勤勉なドイツ人も驚くほど、寝食を忘れ、研究に没頭した北里柴三郎です。
それほどまでに、北里柴三郎を動かした原動力とは?
それは、地位でも、名声でも、お金でもありません。
「衛生学で、世界の先頭に立ちたい」という大きな志でした。
留学期限が終わろうとしていた北里柴三郎は、諦めません。世界をみた事で、日本の現在地が分かり、日本への危機意識が強かったですね。下記の言葉が意志を語ります。
「開国して間もない我が国には、先進国の学者と肩を並べる者がいない。学問や知識をただ学ぶだけで、専門分野で世界の誰からも信用される研究を成し遂げだ者が一人も出ていないのは、我が国の学問に対する対する姿勢の欠点である。私は、世界の学者に後れをとらないよう努力し、日本の衛生学を世界と肩を並べる水準にしたい」
日本やアジアが劣っていた訳ではありません。ヨーロッパが貧困な時代、モンゴル帝国を築いて繁栄したアジアの時代もありました。
ただ、時代のプレートは、分けて分析する科学をパワーとする西洋へシフトしていたのです。
それを敏感に感じ取っていた北里柴三郎。
そして、現代は、長らく繁栄した西洋のプレートが、シフトする時代の過渡期。
北里柴三郎が、今の日本をみたら、何を思い、何を語るのでしょうね。
北里柴三郎は、留学延長が認められ翌年、
「破傷風菌の純粋培養」に成功します。
当時、「破傷風菌は、単独では存在できない」のが定説で、誰もが諦めていましたが、北里柴三郎は、信じていました。必ず、出来ると。
誰もが無理だよと思っていた事を北里柴三郎は、一人だけでも、具現化出来ると信じて諦めず、研究し続け、大発見に至りました。
北里柴三郎の運勢を開くエネルギーは、九紫火星であり、研究です。
熱意で、物事を炳らかにしていく生き方そのものです。
そして、一白水星のどんな環境におかれても、たとえ、応援者がいなくても、信じた道を進む努力。
運勢を自ら開拓した北里柴三郎です。
更に翌年、「破傷風菌の抗毒体」を発見!
そして、血清療法を開発します。
これは、菌を少量ずつ動物に注射し、血清中の抗体を作るのもので、ワクチンの開発です。
これは、顕微鏡でみた破傷風菌です。
破傷風菌は、今でも、土の中にいる細菌で、怪我をし、傷口が出来ると、そこから侵入し、最悪の場合、死に至る恐ろしい感染症です。
今では、それほど耳にしなくなった感染症ですが、犬に噛まれると、この感染にかかる可能性があり、破傷風トキソイドの接種をします。
北里柴三郎は、また、同僚のドイツ人医師のベーリングと、ジフテリアの血清療法を、連名で論文発表しました。
これにより、ノーベル生理学・医学賞候補者となりましたが、受賞したのは、ベーリングだけでした。
残念ながら、受賞には至りませんでしたが、大きな志のもと、努力の結果を得た北里柴三郎は、世界中から、スカウトされます。
そんな高待遇を断り、北里柴三郎は選んだのは、日本でした。
北里柴三郎は、日本の医学に貢献するため、日本に帰国します。
そこで、北里柴三郎を待っていたものは!
日本政府、医学界の完全なる無視でした。
一体、どうした事でしょう?
続く〜