戦国武将の健康術から次の時代へ

f:id:tamaki-tamaki:20160314160716j:plain

【戦国武将が今も尚、語り継がれる理由、哲学やライフスタイルと出会う旅】

歴史と健康、一見、関係しないように思えるテーマと著者も語るが、面白そうだなと手にした本です。

 

北条早雲

武田信玄

上杉謙信

毛利元就

織田信長

明智光秀

豊臣秀吉

山内一豊

石田三成

前田利長

大友宗麟

佐竹義宣

古田折部

直江兼続

徳川家康

 

数々の武将の意志と忍者にまで出会いました。

 

下克上の戦乱の中で、例え、天下を統一できたとしても、明日は、どうなるのか分からない緊張状態が続く日々。ライフスタイルに、常に『死』が隣り合わせの中で、武将が、どう生きたのか。

今は、苦痛である病気や死は、どこか別世界で、命に関わる事は遠い先、私たちとは、切り離され、病院という境界線で隠され、また、現代社会を生みだす私たちがみえない境界線を引くことで、生死を自分と繋げて感じることのないまま、どこか暮らしを営む現代に、死を通して、生きる事を伝えてくれる書物です。

 

戦乱を勝ち抜いてきた武将に共通する事は、文武に長けているとう事。

それは、単に、武術に長けている、戦略家で、頭が良いという事ではなく、和歌や漢詩などの教養も持ち合わせ、茶道や弓道といった事を、普段のライフスタイルに取り入れ、実践し、独自の道を創造している事でした。

これが、時代の文化や地域の特産品に発展し、今も尚、伝承され続けている事を考えると大きな影響力ですね。

 

余談ですが、武田信玄伊達政宗は、閑所と呼ばれた現代でいうトイレに入って、1~2時間はこもっていたと言われています。広いスペースで、お香を炊き、書物を読んだり、物思いにふける戦国武将にとっては、一人になれる貴重な空間だったそうで。一つの決断が多くの命を左右する時代であり、経営者の皆さんも同じ思いをされているかもしれません。だから、氣学で、世の中の動向を観たり、現象からだけでなく、本質から古の叡智を活用されるのでしょう。

 

著者は、健康は医学だけで語れるものではないと述べています。健康を「生と死」に置き換えてみれば、そこに求められるものは、哲学だったり、法律だったり、心理学や経済学だったりと。ところが、現実の医療は、そうなっていない。

 

何が問題なのでしょうか?その解決方法は?今後の方向性は?

答えは、Noh`sWayにありました。

 

問題を解決する時は、前提を疑う必要があります。

自分と自分の宇宙が在るのが当たり前の世界という前提を

 

『自分と自分の宇宙は無いのが当たり前』

 

脳機能に固定され、人間共通である5感覚を基準とした学問は、全て不完全です。この基準点革命を論理とイメージで根拠を基に明確に説明できるNoh`sWay

 

死の中に生を、生の中に死を感じた究極を生きた戦国武将だからこそ、『道』の中で、静の中の動、動の中に静を感じ得たセンス。そして、それをも超越する無の世界。イメージ言語という道具があり、技術が完成したからこそ、脳の機能から自由になり、真理の美しさと一体化する時代。

 

辞世の句に武将の人生観、死生観が現われます。

 

その生死の一点を越えた先の無の境地、そして、ブラックホールの一点を越えたビックバンの起こる以前の無の世界。

 

ここに到達できるこの美しい技術。

 

東洋と西洋の学問を統合するだけでなく、全ての学問に通じる真理

やっと出会えました。

日々のライフスタイルが人生を決定する事は分かっていた。

何かがおかしいと思っていても、一旦、決定されると止める術が私にはなかった。

震災や大病など大きなショックがあったとしても、風化され、また、同じ事の繰り返し。一人の力では、止める事が出来なく、多くの命の灯が消えていく。

 

今ここの意志決定が、相対世界の運命をも越えて、次の時代を創ります。

 

その意志と出会ってほしい。

 

NohJesu、その意志に。